ある日の夕食時のことだ。母親に押しつけられた家事を一通り終わらせ、自分の部屋に戻って布団の上に横になると、突然レインが声をかけてきた。
「どうしたの、随分疲れてるようだけど」
他人事のように話しかけるレイン、随分前から居候はレインじゃなくて僕じゃないかと思うようになってきていた。
「だと思うなら少しは手伝えよ!」
この言葉にどれほどの効力があるか……考えるとやっぱり悲しくなるからやめよう。
「そんな健人にプレゼントだ」
そう言うと金属の小物を渡された。見た目単なるホイッスルだ。
「なんだよ急に」
でもちょっと嬉しい、早速僕はくわえてホイッスルを吹こうとした。
「それは竜笛で、吹いた人間は私と同じ竜人になる」
「ピピー!」
吹き出して、思い切り吹いてしまった。慌てて自分の身体を確認するけど特に変化はない。
「脅かすなよ!」
「アハハ」
不気味に笑うレインが何故か怖い……
「明日早いんでしょ、さっさと寝た方がいいよ」
「わかってる」
明日の朝食を作らないといけないから生活は大変、レインにつきあってる暇はない。
翌日早朝
――あれ? 背中に妙な……
背中に妙な違和感があった。手探りで自分の背に手を伸ばしてみようとしたが、先に妙な物体に手が触れた、どうやら自分の背中に付いてるモノらしい……自分の腕を見た。皮膚じゃなく白い毛に覆われた腕、たどると鋭いかぎ爪を持った手がある。
「え〜!」
慌てて近くにある鏡を見た。口も昨日より前方に伸び、口を開けると鋭い牙、頭部に角、背の方に目をやると長めの尻尾、足もしっかり鋭いかぎ爪付き、近くにいるレインの毛の色が違うだけの同種(因みに僕の毛の色は淡い青、レインは淡い赤)かなり焦る。
「うるさいな、もう少し寝かせてよ」
寝ぼけた様子でレインはそう言った。
「レイン、何で僕竜になってるわけ!」
「ん? 昨日竜笛吹いたよね!」
何故かこの状況が当たり前のように話す。まて、ちょっとだけ整理しよう。俺は竜笛を吹いたけど、そのときは何も変化がなかった。それでも、このレインはずっと笑っていたよな。つまり、そのときに何らかの変化は起きていたと言うことなのか。
「あれ不発に終わったんじゃ……」
一応確認してみた。
「そんなはやく変わるはず無いでしょ! 少し考えればわかるジャン」
うわっ、なんだこいつ。むかつく極まりない。
「わかったらな、もう少し寝かせて。さっきまでネトゲやってて寝てないんだから……」
ちょっとまて、ドラゴンがネトゲって、竜人を溺愛する奴らが泣くぞ。僕ですら最近忙しくてやっていないのに……何言ってるんだ、俺。言いたいこと言ったら即横になり、寝息を立てる。こっちは理解できたできないの問題じゃない……
「寝るな!」
「……」
もう一度起こそうと試みるが、起きそうになかった。こうなると自然に起きるのを待った方が得策だ。
「母さん母さん!」
とりあえず僕の母さんを起こした。竜になってから鼻が利くようになったのか、それともいつもにも増して飲んだのか(恐らくどっちも間違いではないはず)母さんの息が昨日の3倍酒臭い。
「何よ急に……」
こちらもまた寝ぼけ眼で、時計を探す。気のせいか、この先の展開が読める。
「何よ、まだ6時前じゃない、母さん今日仕事休みなんだからもう少し寝かせて」
若干レインに似ているようなしゃべり方、性格が一緒だからだろうか。
「どうしよう、僕竜人に……」
「あっそ、そんなことで起こさないでよ」
そんなこと? 僕にとって未だかつて無いほど深刻な問題なんだけど……そう言うと母さんもまた寝息を立て始めた。
「母さん、寝ないでよ」
僕がそう言うと母さんは体を起こし、凄い殺気だった顔でこっちを睨みつけた。
「さっさと飯作れ、あんまりうるさいと落とすよ!」
「……」
息子の一大事より、自分の睡眠の方が大事な母親(というか話は全く聞いてもらっていないだろう)……はじめからこうなることを考えるべきだったかもしれない。
とりあえず殺されかねないので朝食を作る。目玉焼きにトースト、サラダに牛乳、コーヒーを入れて朝食の支度完了。これで「いつもより手抜きね」と言われるんだからちょっとむかつく。だったら自分で作れ!
時間は6時半、後一時間後には学校に向かわないといけない。けどこの姿だからあんまり行きたくないというのも事実だ。
「おはよ〜」
呑気な竜少女が降りてきた。
「あれ? 今日はトマトリゾットにしてくれるんじゃなかったの?」
「殴っていいか?」
それは母親の要望で、誰も作るとは言ってない。第一状況と思考が追いついてないから作れと言われても無理だ。
「まぁいいや、いっただきます〜」
「食べながらでいい、ちょっと話聞かせてくれ」
「う〜ん、そういうのめんどくさいしから……パス」
この上ないくらいの笑顔で答えられる。この姿になったせいかそれが昨日に増して可愛いと思えるようにはなったが、同時にストレスの上昇度もかなり増してる。
「あっやっぱダメ?」
よし、何とか俺の心情に気づいてくれた。このさい、このふざけた笑顔は目をつぶろう。
「当たり前!」
「しょうがないわね、手短にね」
かなり重要な話をするはずなのに、右手にパン、今は放しているが左手の届く位置に牛乳用意し、やる気のなさが手に取るようにわかる。どうやら僕の会話の優先順位はかなり低い位置にあるみたい。それでも聞いてもらえないよりはマシ、飽きる前に全て訊きださないといけない。
「戻るんだろうな」
「いいえ、戻し方知らないから」
凄く簡単に、とんでもない答えが返ってくる。つまり、俺はこの姿のままこの先生きて行けと言うことか。
「……じゃあどうやって学校に行けばいいんだ?」
「大丈夫よ、その姿でもやっていけるって」
この姿で学校に……無理と言いたいけど、この状況からしてそうなりかねない(というかほぼ決定事項、仮病使ってもあの母親なら無理にでも行かせる)
「今のところ支障は出てないんでしょ?」
「そうだけど」
「なら大丈夫、あんまりくよくよするな少年!」
根本的な解決は見つからず会話終了(えぇ、わかってましたよ。どうせこうなるんだって)
あっという間に登校時間。学校で何言われるか不安でしかたない。
「ちょっと健人! 何で裸なの!」
起きてきた母親がそんなことを口にした。
「えっ」
確かに僕は何も着てない、でもそれは今までレインが何も服を着てなかったからだ。
「早く着替えないと、学校に遅れるよ」
隣で靴を履いてるレイン、いつもと違ってスカートに洋服を着用。
「じゃあ健人、先行ってるね〜」
輝かしいくらいの笑顔であいさつしてくれた。『いつも服来てねぇだろ!』そう思いつつも何もつっこむことができない僕……急いで服きて(翼が邪魔で上半身は来てない、ジーンズには穴を開けて尻尾を通した)玄関を出る。後八分で学校に行かないと遅刻だ。
「飛べば間に合うよ」
外で先に出ていたはずのレインが待っていてくれた。
「でも僕飛んだことないし」
「大丈夫よ、飛べるから」
言われるがままに翼を広げ、羽ばたいてみる。意外に簡単に飛べた。何故飛べるか気になるところだけど、今回は目をつぶろう。
「さぁ、レッツゴー」
僕の背中からレインの声が聞こえる。しかも重い……
「ちょっとマテ、何でレインが俺の背中に乗ってるんだ?」
「いいじゃん、減るもんじゃあるまいし」
議論しても平行線をたどるだけ、というか会話が成立しないだろう。悲しくなる前にやめるのが得策だ。
学校には遅刻2分前に着いた。何とか間に合う。
「よかったね、皆勤賞はまだ守れそうで」
「あぁ、そうだな……?」
レインの姿を見て少し疑問に思った。さっきまで着ていた洋服が無くなっている。
「レイン、服は?」
「あぁあれ? 邪魔だから脱いだ」
「……」
突っ込み入れたい。でも空振りしそうな気がする。
「竜人だもん、人間と違って裸でも問題ないよ、いつもそうだったでしょ?」
わかるような気がする、わかるような気がするんだけど納得がいかない。
「どうしたの? 早く行かないと遅刻するよ」
彼女の話していることは間違いないので、僕は足早に教室へ向かう。でも何故だろう、胃に穴が開きそうだ。
そんなこんなで、教室前。こんな何処にでもあるような学校に、二匹の竜人が立っている。正直、入るのが怖い。
「何突っ立ってるの、さっさと入るよ」
レインは軽々しく扉を開け、強引に僕を教室の中へ引きずり込んだ。
「おはよう……あれ、そっちの竜人さんは? レインの知り合い?」
予想より早く、話題が振られた。
「うん」
おっ、珍しく僕の事情を説明してくれるのか?
「こいつは便利な下僕!」
う〜ん、惜しい。って……
「いつから僕がレインの下僕になったんだ……」
「その声……まさか健人か?」
クラスメイトのハヤトが僕にそう訊いてくる。苦笑いを作り、僕は軽く頷いた。ハヤトは僕に近づき、身体の隅々まで見るかのように、俺の身体を見回した。
「……いいな〜、これなら好きなときに空飛べるし」
でた、ハヤトの脳天気。だけど気のせいか、クラスメイトの大半が、平然とした眼で僕のことを見ていた。そういえば、レインの時もそんなに驚かなかったな。ちょっと変だけど……
それから何となく授業が過ぎていった。竜人が2匹もいないのに何も変わらない日常が過ごせる。黒板で分数の足し算して、国語の教科書音読して、体育の授業では走り高跳びで前回記録の三倍くらいの飛距離を出し・・・いって事だ。
そんなこんなで昼休み
「なぁ健人?」
またハヤトだ。
「何で竜人の姿をしているんだ?」
「う〜ん、成り行き上」
事情を話したら、こいつも絶対に竜人になる。そんな気がした。
「でも羨ましいよな」
「何が?」
「健人は空飛べるし、力だって凄いし、しかも頭いいし……」
突っ込みを入れたかったが反感買いそうだからやめておこう。確かにレイン(体重約80Kg)を軽く持ち運べるようになったし。今朝のように空は飛べる。頭は……竜人になったからって全く関係がない。
「そうか」
「本当に羨ましい限りだよ〜」
確かに、別にメリットはあったけどデメリットはなかった。よく考えれば悪い姿じゃない。だけど何となく友人であるハヤトからそう言われると少し辛い気がした。やっぱ人間のままの方がいいのかもしれない……。
夜、僕はもう一度レインに元の姿に戻して欲しいと話そうとした。
「……大丈夫、話さなくてもわかってるつもりだよ」
また昨日のホイッスルを渡された。
「もう一度吹いてごらん」
易しめの笑顔でそう言われ、僕はホイッスルを吹く。
「これで明日になればいいんだよな」
「えぇ」
とりあえず問題は解決した。ちょっと惜しい気もするけど、これでよかったんだと思う。
「じゃあそろそろ寝る」
「おやすみ、健人」
一日だけだったけど、楽しかった。竜人の生活も悪くない……。
翌日……朝なのに突然僕の携帯電話が鳴り始めた。
「誰だよこんな時間に……」
すぐに電話に出た。相手はハヤトだった。
「何ハヤト?」
「ビックニュース!」
「へぇ〜、で何?」
「窓明けて見ろよ、今お前の部屋の前にいるんだぜ」
言われるがまま窓を開け、道路を見下ろした。
「……えぇ〜!」
驚いた、外には紅い鱗に覆われた竜人が手を振っている。でもそいつがハヤトだと気がつくのにそんなに時間はかからなかった。
「驚いただろ、ここに来る途中何人かの竜人に出会ったぜ」
どうしてこんな事に……ってこんな事やってのける奴を他にしらない。
「なぁ折角だから、ちょいと出かけないか?」
姿が変わってこうも脳天気にいられるハヤトが何となく羨ましい気がする。とりあえずこっちはそれどころじゃない。
「……ちょっとまっててくれないか?」
一旦窓を閉めて、僕はレインに近づいた。
「レイン!」
レインの頬を軽くたたいて起こそうと試みた。5回くらいたたいたところで一応起きたか、かなり眠そう。
「……ん、何?」
「どういう事だよ、街の住人が竜人になってるって」
事態がかなり不味くなっている。訳を聞かないと気が済まない。
「どういう事って……昨日ホイッスル吹いたよね」
「……」
凄く嫌な予感がする。こいつのことだから元々僕を人間に戻す気はなかっただろう。やるとすれば僕が予想しなかった、僕がいやがること。
「もしかして、竜人が吹くと周りにいた人間が竜人化するんじゃ」
「おっ学習してんじゃんえらいえらい……じゃあおやすみ」
予想を裏切らず、レインはまた寝直した。
テレビを付け、どのチャンネルを回してみる。だけど、どのチャンネルにも出てくるのは竜人ばっかり……どうやら日本中の人間が竜人化してしまったみたいだ。テレビでは新種のウイルスとか、突然の進化とか言われているが、その原因を作った犯人は僕だ……。
――んなバカな話あるか!
こんな結末、僕は望んでいない